年間行事

福相寺で行っている年間行事について紹介します。

1月

正月参詣(1月初旬)

 「初もうで」で、正月に神社仏閣に参詣する人は多い。文京区白山からの移転計画では、池上本門寺(大田区)と堀ノ内妙法寺(杉並区)の近くにと候補地がしぼられた。江戸・東京にあり日蓮の時代にまで遡る由緒ある本山なら、法華経信者なら御参りが行われるであろうことがその理由である。檀家総代である森岡家が、堀ノ内妙法寺のすぐ隣りに土地を確保し、現在地への移転の運びとなった。福相寺の檀家も、正月に妙法寺とともに福相寺に参詣する方々が増えてきた。昔は、年の暮れに歳暮付届けをもって菩提寺に参詣することが習わしであったが、それが正月に移行する傾向にあるようだ。いずれにせよ、ご先祖様に正月参詣挨拶することは美風なことである。

 また狛鼠の石像は全国的にも珍しいため、とくに子年の正月には、一般の人も初詣に来られる方が増えてきている。多くの人が、病気平癒や子孫繁栄(ねずみは子沢山)、良縁吉祥(大国主之命は縁結びの神)、商売繁盛を祈願しに福相寺に訪れている。

3月

春季彼岸会(3月中旬~下旬)

 天文学上重要な日が年に2回ある。それは太陽(日)が真東から昇り、真西に沈む日である。「ヒガン」の語源は“日拝み”との説もある。釈迦は何事も偏らない「中道」の精神を説いた。したがってこの前後7日間を、仏教に思いをはせる期間とする習わしが奈良時代に始まり、祖先崇拝の行事として広く一般化した。福相寺の彼岸会では参加者は、一緒に食事をとり、本堂で読経・お題目を唱え焼香を行い、先祖回向と住職の法話を聞く。そして塔婆を建てて墓参するのが一般的である。出される弁当は、移転後90年間変わらない味である五目寿司とお吸い物。1ヶ月前の通知だけで出欠確認をとっていないので、檀家であれば何人でも参加が可能である。

7月

盂蘭盆施餓鬼会(7月上旬)

 盂蘭盆は、言わゆる「お盆」。釈迦の弟子である目蓮が亡き母が餓鬼界で苦しんでいることを知り、インドの雨季が終了する7月15日前後に僧侶たちに飮食を供養しなさいという釈迦のアドバイスを行ったところ、母が餓鬼界から脱することができたという故事に由来する。施餓鬼会は、やはり釈迦の弟子である阿難が、餓鬼界に落ちたくないなら他者に飮食を施し三宝に供養せよと警告された故事に由来している。日本に定着した年中行事として、お盆は祖先の霊をなぐさめ、施餓鬼はそれ以外の霊をなぐさめるという菩薩行(利他行)として営まれている。福相寺の盂蘭盆施餓鬼会は、彼岸会と同様に盛大に行われ、出される弁当はやはり五目寿司とお吸い物で、本堂と新旧書院は人々で埋まる。参詣側も給仕側も全員が他者への施しの真心をもち、生命(いのち)の尊さを実感する行事となっている。住職はこの後11日~15日にかけて、新盆(初盆)の仏様がある檀家を中心に棚経を廻り、各家の仏壇に法味をさしあげる。

 また樹木葬の信者には、合同慰霊祭として通知を送付して参加を呼びかけている。

9月

秋季彼岸会(9月中旬~下旬)

 「国民の祝日に関する法律」を見ると、春分の日が「自然をたたえ生物をいつくしむ日」と規定されているのに対して、秋分の日は「祖先をうやまい亡くなった人しのぶ日」と規定されている。春には萌えいづる生命、秋には枯れてゆく生命。生命には2つの側面がある。そのような生命に思いを馳せる期間が、「お彼岸」である。こちらの迷いの岸(此岸)からあちらの悟りの岸(彼岸)に渡って、生きている喜びと感謝をもつこと。中道とは心をニュートラルにおくこと。そのためには瞋(いかり)・貧(むさぼり)・痴(ぐち)の心から離れなければならない。福相寺の行事では、毎回異なるテーマで法話を行っている。

11月

御会式(11月上旬)

 鎌倉時代の弘安5年(1282年)10月13日朝8時、日蓮上人は、武蔵国千束郷、池上宗仲の館にてご遷化される。現在の池上本門寺大坊(大田区)である。このとき季節外れの桜が咲いたといわれる。何ゆえ命日なのにお祭りとは。もし日蓮上人が出現しなければ、これほどまでに法華経が日本に広まることは無かったでしょう。日蓮上人は釈尊(お釈迦様)の本懐を体得され、我々は常に釈尊とともにあるという大安心を与えてくれている。日蓮宗徒である我々が、この宗祖(日蓮上人)の鴻恩に心から感謝を捧げる行事が「御会式」である。福相寺の御会式は、永代供養の檀家があり、献華、献灯、献香、鏡餅、献酒、供米、供菓子、供果物などがなされる。住職の法話に始まり、参加者全員で自我偈とお題目を唱える。地域のお祭りでもあり、藤睦結社という子供万灯講のお参りもあって、とても賑やかである。食事は、握り寿司と手作りのおでん、お酒もふるまわれる。